SHINE柔です。
どうでもいいことかとは存じますが興味がある人がいるかもしれないことと、自分の柔整人生終活のためにも後悔だらけの人生をここに残しておきます。
小中高校生時代(接骨院のお世話になる)
私が接骨院と出会ったのは幼少の頃でした。
親戚のYさん(柔道整復師)が自宅で接骨院を開業していて、冠婚葬祭や盆正月で会ったり家族同士で日帰り旅行にも出かけるほど交流がありました。私が怪我をしたときも親の車に乗せられYさん接骨院に行き治療をしてもらっていて、日曜でも夜でもYさんが自宅院にいれば治療をしてくれました。そのことについては今でも感謝しています。
しかし、小さな子供だった私が気軽に通えるほどの場所ではなく両親も共働きで、いつでも私を送迎して連れていけるほど暇ではありませんでした。そこで、子供だった私でも家から歩いて行ける場所にあった近所の接骨院へ、Yさんの紹介で通うようになりました。その接骨院の院長はYさんと同じ業界団体に所属する会員同士だったことを後から知りました。
中学と高校では同じスポーツの運動部に入り怪我することも増え、骨折数回、捻挫打撲は数知れず繰り返して近所の接骨院に通いました。
・・・・そして数十年後。
近所の接骨院は院長が高齢引退で廃院。
Yさん接骨院は私が一旦引き継ぎ、そして廃院準備中です。
(注) 特定を避けるため一部曖昧な表現を使っています。
柔整専門学校の学生時代
人生最大の過ち(柔整学校入学)を犯す
小中高と2件の接骨院にお世話になった私は人生最大の過ちを犯します。

柔道整復師になって社会貢献!医療従事者になる!夢を実現!
安易に、本当に本当に安易に柔道整復師への道へ進むことを決めてしまい柔整専門学校に入学しました。入試の倍率は10倍未満でした。それでも元々は普通の4年制大学を目指して受験勉強していた私にとって専門学校の入学試験は楽勝でした。
無知な若造の私はスーツとネクタイで入学式に臨み明るい未来を夢見て学校に通い始めました。
『関係法規』の授業で柔道整復師の業務範囲を知り驚愕
柔道整復師学科の必修科目『関係法規』。
『関係法規』の授業では柔道整復師や接骨院に関する法規を学びます。
地味ですが大事な科目です。国試でも配点が高く柔道整復師を生業とするのであれば絶対に必要な知識ばかりです。それだけでなく、医師・看護師・薬剤師等の他業種に関する法規、病院や保健衛生に関する法規全般も学ぶことから柔整の仕事以外でも役に立ちます。
柔道整復師の業務範囲
骨折・打撲・捻挫・脱臼・挫傷、かつ原則として急性の場合のみ
薬剤の処方と使用禁止、レントゲン撮影禁止
学校に入ってから初めて知ったときは驚きました。

たったのこれしか出来ないの?
これを学ぶためだけに3年もかかるの?
接骨院の施術所や広告についての規制も厳しいことと、街にあふれる接骨院のほとんどは広告規制に違反していることを知りました。
『柔道整復理論』『柔道整復実技』の授業に絶望
柔道整復師の根幹となる知識と技術を学ぶ『柔道整復理論』と『柔道整復実技』。
『関係法規』で知った狭い範囲の外傷治療だけでもしっかりマスターして患者様に還元できるようになることを目標に頑張りました。
しかしここでも業務範囲が狭すぎることを思い知らされます。
骨折や脱臼の治療について「専門医に依頼する」という表現が多く使われています。これはどういうことか簡単に説明すると
「柔道整復師が出来るのはここまで。これ以上の症状がある場合は専門の医師に患者を送れ」
パティシエ学校に入学したのに
お前が作っていいのはスポンジケーキまで。
生クリームやフルーツを使いたいなら専門の料理人に任せろ。
みたいなひどい扱いです。

柔道整復師の仕事、ほとんど無いじゃん!
国家試験はあまり苦労せず合格しました。「この程度の狭い出題範囲なら不合格になる学生なんかいない」という冷めた目で見ていて合格の喜びはありませんでした。
新卒就職(超ブラック接骨院)
国家試験前に柔整学校同級生K君に誘われるがまま、K君が働く個人経営接骨院の就職が決まっていました。個人経営といっても系列の3院があり緩やかにつながってるグループ院でした。格安の住み込み部屋があったことも、社会人になったら親元から離れるつもりだった私にとって就職の決め手となりました。
慰安マッサージと不正請求を毎日12時間
国家試験合格発表を確認したとほぼ同時に院長に電話で報告し3月末から従業員寮に引っ越して社会人デビューしました。
新人らしく最初は雑用と先輩のサポートを仕込まれ、一通りの仕事をこなせるようになると患者に触れる業務の研修が始まります。その研修は自分の夢や希望をぶち壊しまくる最悪の指導でした。
- マニュアル通りの気持ちいい慰安マッサージ
- 慰安マッサージに保険を使わせるため患者と口裏合わせするテクニック
- 不正請求カルテの書き方
研修を受けるたびに絶望の底へ落ちていきました。接骨院に外傷患者が全然来ない理由も分かりました。患者は保険を使って激安の慰安マッサージを受けたいだけでした。
院長が外傷治療を全否定
あまりのひどさに院長に不満をぶつけたら
「お前は何を目指してるんだ?」
「骨折も脱臼も怪我も治せたって何の役にも立たない」
「接骨院の仕事はマッサージと保険のやりくりだ」
もはや反論する気も失せました。親に相談して実家に戻ることとなり、大急ぎで住み込み部屋から引っ越してろくな挨拶もせず退職しました。半年くらいの勤務でした。
転職歴(順不同)
実家に戻ってこのまま無職というわけにはいかず、柔道整復師として働ける職場を転々とすることになりました(以下は順不同で転職歴)。
1.小規模整形外科クリニック
実家から通勤出来る個人の整形外科クリニック。
業界誌の求人から応募し即採用され、新人としてまた雑用から始めつつもレントゲン読影や外傷対応の研修も並行して受け、先輩の厳しい監視を受けつつ外傷治療を担うことになり、1年もすると監視もされず一人で治療を任されるようになりました。この時期が柔道整復師の本来の業務がそれなりに出来た絶頂期でした。絶頂といっても今思えば標高の低過ぎる頂点でした。
2.劣悪接骨院グループ
実家とは他県の接骨院グループ。
アパートを借りて引っ越して生活拠点を整えてから万全の再スタートしてしまったのが間違いでした。
新人はグループ各店舗の欠員補充で雑用マッサージ補完要員、慣れてくると自費マッサージ誘導実践要員、役職がつくとマッサージ指導要員、外傷なんてほぼ触らず整形外科受診を勧めるだけでした。スタッフの入れ替わりも激しく柔道整復師は使い捨ての駒で、グループ幹部とは険悪なまま退職しました。
3.整形外科クリニック
実家とは他県の整形外科クリニック。
医療法人で姉妹院があり人生初の福利厚生付き正規職員として勤務しました。
物療室は10名以上の柔道整復師が仕切っていて、朝は8時出勤・夜は早くても21時退勤。長時間労働によるストレスで心身を病み体重が激減して歩くのもやっとになり退職しました。
4.機能訓練指導員アルバイト
柔道整復師として仕事を続ける気力が失せ実家近くの介護施設で機能訓練指導員のアルバイトとして勤務しました。
体の弱ったお年寄りに擦る程度のマッサージをして簡単な介護記録を付けるだけの毎日。転職する気にもなれず心を病んでいきました。
5.無職(鬱病療養中)
職歴とは別に、初めて精神科クリニックを受診して鬱病と診断され無職として過ごしました。
一人暮らしで誰にも会わず数か月ほとんど動けなくなっていました。鬱病のクスリの副作用で一日の半分は寝て過ごしました。服を買いに行く気力もカネも無く、それでもハローワークには通って失業手当を受け取りました。
最後の転職(親戚の接骨院を引き継ぐ)
子供の頃にお世話になった接骨院の院長・Yさんから久しぶりの連絡があり、
持病と高齢で引退したい。うちの院を引き継いでみないか?
突然の申し出に驚き、ここは正直に「人生を賭けて接骨院を繁盛させる気はありません」と自分の気持ちを伝えました。
それなら引き継いでから無難に閉院させてくれないか?
と提案されました。
副業を始めて接骨院閉院へ
Yさんの接骨院は患者が減って暇でした。このまま無駄に過ごさず空いた時間に副業を始めました。
柔道整復師とは全く関連性のない仕事を慣れないながらも奮闘し、ついに接骨院の収益を上回りました。もはや接骨院のほうが副業となり、今後は収入源を安定させて他業種にもチャレンジして収益を増やしつつ、接骨院を閉院させ柔道整復師のキャリアを締めくくるため日々悪戦苦闘しています。